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老中医 張士傑先生


当時はデジカメやスマホがなかったので先生との貴重な写真だ。


張士傑先生と 北京 易安医院 2014年5月


私が北京修行中は張先生から学んでいた。

先生から治療や鍼灸、中医学のことだけでなく季節の食べ物や、お肉の食べ方、おいしいレストラン、中国各地の特産品、孔子先生、老子先生のこと。文革のこと。

中国文化を色濃く話してくれたし、体験させてくれた。

張先生の元へ通う患者さんからも大変よくしていただいた。外国人である我々がプライバシーが多く表現される医院の中で学んでいることを嫌がりもせずに、受け入れてくれていた。

思い返しても多くの環境に感謝がこみ上げてくる。


中国文化を色濃く体験している張先生から、中国伝統鍼灸を学べたことは私の人生で大きな基礎になった。

私の20代でこの体験をできたことは両親のサポートがあってこそ。


当時の張先生の治療室では中枢神経系疾患、自己免疫疾患、難病、不治の病が多く診られていた。

脳出血や脳梗塞後の麻痺、運動障害、感覚障害、痺れ、痛み、ギランバレー症候群などの難病、小児麻痺などの先天性の疾患が印象的だ。


こういった疾患が完全に治る、というのではないが、少しずつでも動くようになり、生活しやすくなっていく実感を患者さんはその場で感じていた。


涙を流しながら娘さんの麻痺の回復を見守っていたご両親を忘れられないし、

絶対治らない難病であるギランバレー症候群患者が歩けるようになり、自転車に乗れるようになった事実も彼の笑顔も今でも鮮明だ。


私も日本でこういう症状で困っている患者さんをサポートしたいと思っていた。


帰国して、日本で中枢神経疾患が鍼灸を選択するかと言えばそうでもなくて、もっぱら腰痛や関節痛の依頼が多かった。逆にそういった整形疾患は中国では見てこなかったので、戸惑ったのを覚えている。

あの時は、一からやり直しだった。


このごろ、腰痛や膝痛などの関節痛がある程度クリアーになると、いよいよ中枢神経疾患に巡り合うようになってきた。


最近は、張先生の力を借りて治療することが多い。

死して尚、学びと体験に導いてくれる張先生を思い出してブログを書いてみた。


これから益々、張先生の「あの治療室」のような感動と喜びを新潟で生み出していく。

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